2010年06月29日
港町神戸の原点
今回は、港町神戸が『港町』と呼ばれる由縁となったお話をお届けします。
神戸の中心地、三宮から海側に下った国道2号線沿いの場所に、とても大きなイカリの石碑があります。
港町神戸を象徴するこの石碑、これは、『神戸海軍操練所跡』の記念碑です。
『神戸海軍操練所』とは、幕末の1864年、勝海舟の構想から実現したもので、現在の神戸市中央区の新港町付近にあったと言われています。
勝海舟といえば、最近話題の『坂本龍馬』と同じく、幕末明治維新の歴史にその名前を刻む人物です。
勝海舟は、日本に海軍を設立するため、海軍学校の必要性を説き、神戸の地にこの『海軍操練所』を設立しました。この学校には、日本の新しい時代を予見していた坂本龍馬も通っていたのではと言われています。
この海軍操練所設立に奔走する勝海舟が一時期過ごした邸宅跡も、今も神戸市兵庫区に残されています。
神戸には、やはり港に関する歴史が多いですね。
現代のように、インターネットを調べれば簡単に世界中の情報を知ることができる時代とは違い、まだ海の向こう側の事は未知のことばかりだった時代。
日本という小さな島国を世界的な位置付けから考えようとした彼等の思いはとてつもなく大きいですね。
この神戸の海の遠い遠い向こう側に広がる世界を、今と同じ海を眺めながら、明治維新を成し遂げていった彼等の思いは、どのようなものだったのでしょうか。。。
私たちも、朝の通勤時、毎朝ポートライナーから見えるこの神戸の港の景色を眺めつつ、通勤しています。神戸大橋から見える神戸港の景色は、一番のビューポイントと言ってもいいくらい、とても壮大ですよ。
皆さんもポートライナーに乗る機会がありましたら、ゆっくり眺めてみて下さいませ
神戸の中心地、三宮から海側に下った国道2号線沿いの場所に、とても大きなイカリの石碑があります。
港町神戸を象徴するこの石碑、これは、『神戸海軍操練所跡』の記念碑です。
『神戸海軍操練所』とは、幕末の1864年、勝海舟の構想から実現したもので、現在の神戸市中央区の新港町付近にあったと言われています。
勝海舟といえば、最近話題の『坂本龍馬』と同じく、幕末明治維新の歴史にその名前を刻む人物です。
勝海舟は、日本に海軍を設立するため、海軍学校の必要性を説き、神戸の地にこの『海軍操練所』を設立しました。この学校には、日本の新しい時代を予見していた坂本龍馬も通っていたのではと言われています。
この海軍操練所設立に奔走する勝海舟が一時期過ごした邸宅跡も、今も神戸市兵庫区に残されています。
神戸には、やはり港に関する歴史が多いですね。
現代のように、インターネットを調べれば簡単に世界中の情報を知ることができる時代とは違い、まだ海の向こう側の事は未知のことばかりだった時代。
日本という小さな島国を世界的な位置付けから考えようとした彼等の思いはとてつもなく大きいですね。
この神戸の海の遠い遠い向こう側に広がる世界を、今と同じ海を眺めながら、明治維新を成し遂げていった彼等の思いは、どのようなものだったのでしょうか。。。
私たちも、朝の通勤時、毎朝ポートライナーから見えるこの神戸の港の景色を眺めつつ、通勤しています。神戸大橋から見える神戸港の景色は、一番のビューポイントと言ってもいいくらい、とても壮大ですよ。
皆さんもポートライナーに乗る機会がありましたら、ゆっくり眺めてみて下さいませ
Posted by 創発システム研究所 at 09:46│Comments(0)
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